石見銀山 (^^)v
石見銀山で栄えた大森の町にやってきました ♪
じつは銀山が 目的ではなかったのですが
時間があったので
大森の町をすこしだけ散策できました (^^♪
残念ながら 銀山跡は 次回という事に
石見銀山世界遺産登録5周年ということで
なんと~浅野温子さんのよみ語り!
~が大森の神社であるとのことで
はずかしながら 初~大森でした (^^ゞ
銀山のだいぶん手前のところに
世界遺産センターというところがあって
そこに車を止めて バスでむかいました
終点のひとつ手前で降りて
歩いて大森の町を ぶらぶら撮影しながら
暑くて汗をふきながら
ゆっくり 会場まで向かいました
五百羅漢
当時のままか?~どうかわかりませんが
古い町並みに おみやげ屋さんカフェ 食堂 が並びます
銀行もこの通り
マンホール ↑
田舎に住んでる我々には
確かに古い町並みだけど お店屋さんばかりなので
ノスタルジーを感ずるまでは
いかなかったのが 正直なところです
かえって 地元の
平田の木綿街道の方が雰囲気はありますね
代官所跡です
そうそう 有名な義肢装具の中村ブレイス~
代官所の隣にありました
「わおん」って 読むらしいですが
もちろん 食べ物じゃないです
以前 六子を
穴子と 勘違いされてから トラウマ?状態
冗談はさておき
これ電子真似~
ならぬ 電子マネ~でございます
なぜか~
石見銀山 と コラボ
やはり 銀山だけに
ご円(縁)があったということでしょう~か (^_-)~☆
カ~ドのデザイン的にも
石見銀が
電子マネ~をイメ~ジしやすいのかなと思ったり
石見銀山を訪れた記念としても
これを使うたびに 石見銀山を思い出したり
お土産としても安価ですしね
所謂 お財布携帯と同じですが
40代以上の方は
機能として付いていても使うのはせいぜい数%らしいです
ある講演会で戴いたんですが
残念ながら
近くで つかうとこがないんですよ
都会ではどうなんでしょう? (^^ゞ
電子マネ~ 普及しますかな?
これも~
石見の文化です~
鏝で~浮き彫り
壁に こんな風な レリ~フがあれば
いいわなぁ~
いまも~石見のほうでは
伝わっているそうです (^^♪
いや~伝えて欲しい !!
石見銀山の一角ですから
楽しみふえましたねぇ (^_-)~☆
石見銀山で知られる 大田市 大森町
この地区の一角にある西性寺。
「鳳凰」は、その経蔵正面の壁に彫刻された作品です。
蒼空にはばたくそのすがたは、実にダイナミック。
羽の端にはガラス玉が埋め込まれており、
制作当時はキラキラとまばゆいばかりであったそうです。
「鳳凰」は、
「左官の神様」と尊敬された松浦栄吉が還暦を迎えた、
大正時代中ごろの作品です。
西性寺の経蔵には、
ほかの三面の壁にも大輪の牡丹や菊が彫刻されており、
建物全体が彼のトータルな作品となっています。
図柄の構成や浮き彫りの技法など、
彼の左官人生を集大成した輝きを感じます。
石見銀山だけではありません
石州には~
石見銀山との~つながりもあり
独特の文化が~育まれています (^^)v
「福光石」は、
島根県温泉津(ゆのつ)町福光(ふくみつ)で
今も採石されている淡青色の軟石で、
五百羅漢座像のほとんどにこの福光石でつくられている。
今から1500~1600万年前に噴出した火山灰が岩石化したものと言われ、
明治時代までは、
島根県宍道(しんじ)町来待の「来待石(きまちいし)」とともに、
山陰を二分する石製品の産地として栄えていた。
現在でも民家や公共工事など、
主に外回りの修景用などに使われおり、
ここ大森では「石見銀山大森郵便局」の出入口周りに
この福光石が使われている。
膨大なのみ跡が山容を変え、
約450年間に及ぶ石の文化を連想させる。
大田市 温泉津町
同町の特産品・福光石の採石場として唯一、現在も操業が続く。
戦国時代後期以降、
一帯から切り出された淡緑色の福光石は、
石見銀山の人々の暮らしを大きく支えてきた。
大森の町並み保存地区と
銀山本体の柵内(さくのうち)で確認された
墓石などの石造物は合計1万1000基。
その大半が福光石だ。
大森の仙の山と石山の距離は約20キロ。
石工が仕上げた石造物は、
牛馬が背負い銀山街道の難所・降露坂を越え、
大森にもたらされた。
コンクリートがない時代、
福光石は神社の鳥居や水路、街道を補強する石材など
、さまざまな用途に用いられた。
その需要は、
石見銀山で生きた人々の栄枯盛衰の歴史と重なり合う。
以上 山陰中央新報より
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